アルフォンス・ミュシャ / Alfons Maria Mucha
1860年7月14日 チェコ・モラヴィア地方・イヴァンチツェ- 1939年7月14日生まれ
アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー
詳しくはグーグル検索。名前は知らなくとも、彼の絵を知ってる方は多いでしょう。
ミュシャの絵を知ったのは今日明日にでも閉店するというボロい本屋でした。
学校の帰りたまたま立ち寄った本屋に1冊だけ置かれていたチェコの本。その本の表紙がミュシャだったのです。その本を見て以来、私にはある野望が生まれました。
それは「プラハに行って、この絵を見てみたーい!」
ミュシャの生まれたチェコには「ミュシャ美術館/Mucha Museum」なるものがあるのです。
それから約10年(以上)、ついに私の野望がかなう日がやってまいりました。
2005年6月1日、プラハに向け成田を出発!
1860年7月14日 チェコ・モラヴィア地方・イヴァンチツェ- 1939年7月14日生まれ
アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー
詳しくはグーグル検索。名前は知らなくとも、彼の絵を知ってる方は多いでしょう。
ミュシャの絵を知ったのは今日明日にでも閉店するというボロい本屋でした。
学校の帰りたまたま立ち寄った本屋に1冊だけ置かれていたチェコの本。その本の表紙がミュシャだったのです。その本を見て以来、私にはある野望が生まれました。
それは「プラハに行って、この絵を見てみたーい!」
ミュシャの生まれたチェコには「ミュシャ美術館/Mucha Museum」なるものがあるのです。
それから約10年(以上)、ついに私の野望がかなう日がやってまいりました。
2005年6月1日、プラハに向け成田を出発!
参加したツアーはその名も「ミュシャの遺産を巡る旅・究極のプラハとウィーン・ブタペスト9日間」というもの。20名中18名が女性という男性には肩身の狭いツアーです。
成田を出発したのが6月1日22時、経由地フランスへの到着は翌日2日の早朝4時。
空港が静まり返っています。観光客どころか空港職員すらいません。
「ターミナル移動のバスを待ちます」とガイドさんが言って約1時間。
バスどころか人すら来る気配がないのです。
外には美しい朝焼け。来ないバスをひたすらベンチで待ちつづける日本人ご一行。
きっと全員が同じ事を考えていたことでしょう。
「バス使わないで歩いて移動した方が早いじゃん!」
成田を出発したのが6月1日22時、経由地フランスへの到着は翌日2日の早朝4時。
空港が静まり返っています。観光客どころか空港職員すらいません。
「ターミナル移動のバスを待ちます」とガイドさんが言って約1時間。
バスどころか人すら来る気配がないのです。
外には美しい朝焼け。来ないバスをひたすらベンチで待ちつづける日本人ご一行。
きっと全員が同じ事を考えていたことでしょう。
「バス使わないで歩いて移動した方が早いじゃん!」
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2006.06.29 11:43 | ミュシャを巡る旅 |
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